昭和64年1月7日に昭和天皇が崩御された時、私は東京で三河郷友会学生寮という寮に住んでいた。その寮生の10数人がテレビ局でアルバイトをしていた。年末年始の局内は例年でもかなり多忙なのだが、この年末年始はさらに物凄い緊張感が日に日に増して来ていた。天皇崩御の可能性がかなり高くなったからだ。そして1月7日から日本国民全体が喪に服した。祝い事はもちろん自粛、通常なら何でもないことなのに「今はそれは自粛してください」と周りから諭された。誰もかれもが困惑した。その強制された「自粛ぶり」は異常とさえ思えるほどだった。物凄く困惑した。それは1月末まで続いた。
しかし私は以前から計画していたヨーロッパ旅行のため1月末に日本を後にした。約2か月間の旅、フランス、スペイン、ポルトガルの旅だった。フランスの空港で現地TV局の取材を偶然にも受けた。「日本で天皇が亡くなったことを日本人としてどの様に思うか?」「日本の戦争責任は?」
喪に服すとは悲しみの中にいるということだ。この状況の中で、私は私個人として答えるべきなのか、はたまた日本国民を代表した一般的な答え方をすべきなのか、困った。ポルトガルに行ってもスペインに行っても現地で仲良くなった外国人から同じような事を聞かれ同じように迷った。
あれから約30年過ぎて「ありがとう」や「おめでとう」という表現が似合う今回の改元となった。笑顔でいっぱいの改元なのだ。昭和から平成になるときの「強制的自粛と困惑」は今回は皆無だった。
がしかし退位、改元、即位の流れの中で忘れてならぬことがある。「譲位」を忘れてはいないか。「譲位」ありきの今回の改元であろう。それに伴い「皇太子が今、いない」ということも忘れてはならない。別の意味での困惑が出てきてしまったのは否めない。
梅の花のように、未来への希望を咲かせる国になりますように
人々が美しく心を寄せ合うことができますように
「素敵な元号のもと、素敵な人生を送ることを目指して、青春の夢を誠実に希求しながら、精一杯の努力をしていける塾生を私は育成するのみ」と改元を機に強く決意致しました。
(写真は平成31年4月14日に皇居前にて撮影)