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 塾長の高原です。 

特進サクセスホームページへ

ようこそ。

 

17年目の特進サクセスです。

一人一人の個性を伸ばし、楽しく学べる小2~高3の、個別指導スタイルの学習塾です。  

 

「お子様に合った学習方法と進路」が塾のモットーです

それをいつも心がけております。

どうぞお気軽にアクセスしてください。

 

このホームぺージの「お問い合わせ」のタブから入力、送信をお願いします。

 →その翌日にこちらから返信いたします。

 

ご無料体験の流れは以下の通りです。

①お問い合わせ画面の入力、送信→②ご面談の日時決定→③ご面談と小テスト実施・無料体験のスケジューリング→④無料体験通塾(2週間)→④後日フィードバック面談実施→⑤ご入塾

 

お気軽にご相談ください。

ご連絡、お待ちしております。 

( 塾長 高原雅美) 

 

 

 <  中学生の募集人数 >  

新中3 6名募集 

新中2 3名募集

新中1 5名募集

  

 <  小学生の募集人数> 

新小6 3名募集 

新小5 2名募集

新小4 2名募集

新小3 2名募集  

新小2 2名募集

 

<  高校生の学習塾をお探しの方へ >  

 内部生のみのコースのため、高校生の一般申し込みが承れません。ご容赦ください。 

 

 高校生の通える塾が少ないので、将来的に高校生として通塾をお考えの場合、中3の夏期講習開始までのご入塾をご検討ください。

 

→ この高校生コースの入会資格は、

①「中3時に当塾の塾生だったこと」

②「新高1生として塾をそのまま継続すること」の2点です。上記2点の高校生コースの入会

 

資格を設けている理由は、

①について、大学入試が精神的に非常にハードであるから

 そのハードさに耐えれるメンタルを持っているかどうか?の判断基準として、高校入試を判断材料とらえております。

 高校入試を県大会とすると、大学入試は全国大会です。比較対象にはなりませんが、プレッシャーに強いか?弱いか? 高校入試を通して、高校生が大学入試に備える受験期間の、漠然とした不安に耐えられるかどうか?はかなり予見、推測できます

 

②について、大学入試の50%は高1で決定してしまうから

 高校の学習内容は中学校の50倍以上。高1のスタートが上手くいかないと、志望大学の合格はかなり難しくなります。大学入試は全国大会。それを3年計画で万全を期して臨みたいです。

 

 上記2点の考え方、ご理解の程、よろしくお願いいたします。  

 

  

 <  きょうは何の日?>  

 6月9(火)

「弘安の役の日」

1281年(弘安4年)のこの日、高麗が対馬を攻め、弘安の役がはじまった。

 

 

   <  月 間 予 定 表 >  

   6

   4日 岡崎北高 定期テスト(~6/10まで)

 10日 安城北中 4科テスト

    西尾高 定期テスト(~6/16)

 15日 篠目中 5科テスト

 16日 矢作中 定期テスト(~18日)

 17日 安城北中 5科テスト

 19日 篠目中 4科テスト    

 24日 安城高 定期テスト(~6/30まで)

 

 

 < さくせす日記 >

見たこと、聞いたこと、感じたことを、とりとめなくつづっていきます。  

 

2026年 6月 1日

武相荘(東京都町田市)

 

「ぶあいそう」と読みます。

武蔵野の国と相模の国の境界に位置していることから一字ずつ取り、無愛想と掛けて白洲次郎が名付けたそうです。

 

白洲次郎(1902~1985)、白洲正子(1910~1998)が1942年から亡くなるまで住んだ、東京都町田市の武相荘(ぶあいそう)に行ってきました。

 

写真は、次郎26歳、正子19歳、結婚の直前に撮影したもの。1919年から約8年間イギリスにいた次郎、1924年から4年間アメリカにいた正子、国際的な視野を持った二人だからこそ見えた、この先の日本の破滅の道。さぞつらかっただろうなぁと感じました。

 

日本国憲法の制定過程でのアメリカとの折衝や、サンフランシスコ講和会議での吉田首相の演説原稿をしたためた次郎の活躍。

 

日本の四季や風景、そして造詣の深い能の世界を記した随筆などで、日本の美を追求した正子の筆。

 

念願叶い、今回ここを訪れることができました。

 

塾での学習指導に、ここでの知見を活かしていこうと思います。

大きなエネルギーをいただきました。

 

 特進サクセス

   塾長  高原 雅美

写真は 武相荘にて

(2026年5月 撮影)

 

   


進学予備校(小2~高3)

特進サクセス高木校です

0566-77-0039

 

コロナに 負けるな! 

手洗い、マスクの着用を!

詳細は「感染症の対応」をご覧ください。

 

2020年

8月

11日

外山滋比古先生が逝かれました(追悼)2020年8月11日

 

 

 東京都文京区小石川のご自宅から勤務校のお茶の水女子大学まで徒歩で行かれる。所要時間は約7分。春日通りの横断歩道で信号待ちに引っかかれば、私のチャンスは約1分増える。

 

 秋に行われる寮祭の主催学年である私は、寮のOBである外山先生にカンパをお願いしようと考えていた。1985年(S60年)の秋、今から約35年前のことである。

 

 我々の学生寮は、愛知県の三河地方出身者が入寮する「三河郷友会」という学生寮である。出身地が同郷のため、全員がネイティブの三河弁だ。その三河寮の2階の洗面所の窓から眼下に目をこらし作戦を練った。

 

 平日の朝は、同じ時間、同じ道でお茶の水女子大学に歩いて行かれる。その歩くスピードはびっくりするほど速い。歩くというより小走りに近い。ほんのわずかな時間で私の視界から消えてしまうのだ。この建物の二階の窓から、何度も何度もそのお姿を拝見した。

 

 私は外山先生を「小さな巨人」と呼んでいた。身長が低かったことからそう名付けた。今思えば大変失礼な話だ。小さな巨人は、背広姿に大きな黒いカバン。そしてインパクト満点の黒ブチの眼鏡。「知の巨人」は小柄だった。

 

「外山先生、おはようございます。お急ぎのところ、すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」歩行者用信号が緑の点滅から赤になった。

 

 「三河郷友会学生寮の寮生の高原と申します。おはようございます。実はもうすぐ寮祭ですのでOBの方々にカンパしていただけたらと思い、礼を逸してることはじゅうじゅう承知しておりますが、意を決してお願いにあがりましたぁ。」

 

 勢いが肝心だと思い、淀むことなく、大きな声で、先生の目を見ながら力を入れて申し上げた。 

 

 1983年に刊行された「思考の整理学」は、その年の大ベストセラーだった。大学生協で平積みされた単行本は、口コミも手伝って月が変わるごとにその販売面積を増やしていった。

 

 『学校教育はグライダー人間を作りすぎ。自分のエンジンを搭載し自分自身で飛べる飛行機人間を育成すべきだ、その目的に対して最も大切なことは思考力というエンジンだ。そのエンジンを持たなくてはならぬ。そのためには考えるということを大事にしたい。考えて思いついたアイデアはカードに書こう。そして発酵するまで待つべし。

 

 起床後からお昼までの午前の脳の活動は思考活動にはもってこいだ。無我夢中、散歩中、入浴中の三中は思考には最適。etc・・・』

 

 数年後には文庫本となった。いつしか大学生の必読書のランキング上位となった。甲子園で活躍した根尾選手が2019年の秋、中日ドラゴンズにドラフト1位で入団契約した際、愛読書を問われ、外山先生の「思考の整理学」と答えたことで大きな話題となり、彼はは大いに株を上げた。

 

 「三河寮ですかぁ。はい、わかりました。今お時間、ありますか?」

 

「もしあるんだったら、このまま私の研究室まで一緒においでん。来れる?急いどるもんで、時間がないんだわぁ・・・」

 

 「えっ!!研究室??」

 

 お断りする理由などあろうはずがない。コテコテの三河弁の先生のあとをノコノコとついて行った。

 

 お茶の水女子大学の先生の研究室に、恐る恐る足を踏み入れたあの緊張感と幸福感。「ハイっ」と渡された寮祭へのカンパ。両手で押し頂きながら拝受した。

 

 もちろん先生のご自宅の住所、所在は知っている。わが学生寮のご近所。しかしご自宅にお伺いすることは絶対にしてはいけないと思っていた。執筆などのお仕事の邪魔をしてはいけない、筆を折るような野蛮な訪問は決してできない。先生の書斎から綿々と生み出される研究成果を阻害するようなことは絶対にできない、許されない。思案の末、「徒歩での通勤途中」にお声をかけさせていただくことを決定した経緯などについて申し上げた。勢い余って「思考の整理学」と「省略の文学」の、自分なりの書評をも生意気にもお伝えしてしまった。蛇足だった。でも先生は黙ってうなづいておられた。笑顔だった。目がやさしかった。

 

 私はとてもハッピーだった。カンパをいただけたからうれしいのではない。カンパを頂くというミッションを完遂した上に、尊敬すべき偉大な人物の許しを経て、大学のご自身の研究室である「聖域に入ること」ができたことが、恐れ多くもうれしかったのだ。強烈なカタルシス(魂の浄化)があった。

 

 先生はいつも微笑んでおられた。愛知県の西尾で生まれ、大学生として上京されてからはずっと文京区小石川で生活された。そうして年月が過ぎ、300をこえる著書が刊行された。そのどれもが輝きを失わずに、新鮮で鮮烈な閃光を放っている。どれを読んでも面白い。借り物ではなくオリジナル、古くなく新鮮。本物だからであろう。

 

 近著では「三河の風」(2015年展望社)は特に素晴らしい。明治維新後、愛知県三河地方は明治政府から冷遇された。徳川家の発祥の地だからだ。地元民は政府に頼ることなく、自力で、自分たちだけでやっていこうという独立独歩の気風、風土が醸造されていった。その中で自分らしく、かたくなに生きていくことを学んだ。その生き方は、あたかも蚕(かいこ)に似ている。三河地方は養蚕が盛んな土地で、農家は屋根裏で蚕を大事に育てた。蚕に「お」をつけて「お蚕さん」と呼んで大事にした。蚕は桑の葉を食べて白い糸を吐き、繭(まゆ)を作る。色のついたものは色あせるが、白い繭は色あせることなく純白の糸となる。だから「蚕のように私は生きていきたい」という、「三河人」外山先生の強い信念に、共感を覚えずにはいられなかった。

 

 また健康維持のため、皇居一周約5キロを、ご高齢にもかかわらず毎日散歩される外山先生のテレビ番組を数年前に見た。たぶん「三中」の散歩に違いないと思ってそのお姿をテレビの画面越しに拝見した。その先生が2020年7月30日、胆管ガンで亡くなられた。享年96

 

 今週はお盆がくる。先生にとっては新盆だ。わたしは自分の塾で夏期講習の授業をする。中学生の夏期講習用の国語のテキストの問題文は、長田 弘(おさだ ひろし)、小此木 啓吾(おこのぎ けいご)、串田 孫一(くしだ まごいち)など、そうそうたる方々の文章だが、この30年間、学習用のテキストや大学入試の現代国語の問題文への登場機会ダントツのトップは言うまでもなく、外山先生だった。そしてこの先の30年間もたぶんそうあり続けるであろう。知の巨人は死なず、永遠なり。

 

先生、お世話になりました。

先生、本当にありがとうございました。

先生、同郷人として誇りに思っておりました。

先生、これからも今まで以上に先生の文章を精読していきたいと思います。

 

ありがとうございました。

( 合 掌 )

 

2020年8月11日 記