「親の覚悟」 副住職との話しの途中に次のような合いの手が何度も入った。「親がそれをよく許したねぇ」。この言葉に凝縮された「親の葛藤や覚悟」を当時の私は全く気付いていなかった。
5年間の保育園通いや小1からの家庭内料理や中学校での部活はともかく、「小学2年生からの新聞配達」を親が許したことを指して言っているのだ。小2、小3、小4と計3年間続いた夕刊の配達。交通事故のリスクがあまりにも大きい。危ない。徒歩での配達ではなく自転車での配達だからさらにリスクは大きい。親が諸条件を全部洗い出し、メリットとデメリットを明らかにし、検討し、夫婦での議論を経ての最終判断はかなりの「覚悟」を伴ったはずである。でも高校1年生の私はそのことに全く気付いてすらいなかった。親の心子知らず。
家が貧しいから新聞配達を子供にさせたわけではなかった。子供の自立性、規律性、責任感、そして「忍耐力の養成」が主目的だった。我慢のできる子にしたいという親の考えである。実際私が小学校入学当時の我が家の経済状況は「中の中」で、裕福ではなかったが特に貧しかったとは言えない。普通だと思われる。
ところが10才上の兄の小学校入学当時はかなり貧しかったのではないかと思う。それは昭和32年頃で戦後約10年が過ぎた頃である。当時は日本中のすべての世帯が貧しかったのではないか。その当時写真館を経営していた親戚がいたせいか、当時の生活がわかるスナップ写真が我が家にはたくさんあり、それらの写真からその様子が分かる。カギ裂きになった学生服は丁寧につくろわれ、穴のあいた靴下は強度を落とさないように修繕され、そしてまた穴があいても何度も何度もつくろい直すのが普通だったことが、どの写真からも見てとれる。衣食住における「使い捨て」の風潮はその頃は皆無であった。貧しさや質素な生活の中で「もったいない」という感覚や「ものを大切に使う」という日本の美徳が生活に満ち満ちていた。壊れたら補修して使うのはあたりまえであった。
「戦後の日本の、経済的な貧しさ」が昭和30年代には確かにあったのであろう。戦争後の10年間は生きることに精一杯で明日をもしれぬ、ぎりぎりの生活だったに違いない。「下を見て生活し、上を見て働く。」それが「すこしでも豊かになりたい」というエネルギー源となって高度経済成長へと繋がり、1968年(昭和43年)にはアメリカに次ぐGNP世界第二位の国として経済発展をとげた。私は小学校の2年生だった。
平成10年4月、私の長女の小学校入学の祝い膳の時だった。私ども夫婦、娘二人、義理の母、そして私の父と母の計7名での長女の成長の節目の食事会が開けた。祝い事があるということはありがたく、幸せなことだ。この時私は、自分の小2の時の新聞配達を親として許可するかしないかの判断した時のことを知りたくて、父と母に質問した。
すると父が「小2の子供の新聞配達」に関して、親としての葛藤と覚悟について次のように語り出した。「大正生まれの我々の世代は、戦争に行かされた。戦闘機の機銃掃射を受けたり、空爆された街が炎上するのを見てきた。戦争を通して『生きるということ』をもの凄く考えさせられた。
生きるというのは、衣食住だけではダメだ。それに加えて教育と訓練がいる。我が家の子供の教育メニューに、新聞配達をさせるという選択肢はなかったので、新聞店の店長が我が家を訪問したいという申し出を『これはいい機会かもしれない。チャンスだ。』と考えた。お父さんとお母さんは『我が家の子育ての方針』についてかなり話し合った」と聞かされた。初めて聞く話だった。私自身が小学校に入学してから30年が過ぎていた。
私は小学校の低学年の自分の長女を見ながら「この幼子に新聞を配達させること、新聞を配達するのを許可すること」を親として決断できるか?という自問自答を何度も何度もした。親だからこそイエスと言えるのか?それとも親としてはまだ未熟だからイエスと言えないのか?
私が「親に成りきれてないのかなぁ?」と質問すると「親になるというのは三段階ある。」と父が言った。
「女は子供を産めば親になる。男は子供に名前を付けることで親になる、というのが第一段階。」「次は食べさせていくことで親になる。親はそのためには当然働かねばならない。」「最後は、子供の自立を目的とした訓練やしつけをすること。これが第三段階。これが実に難しい。大変なんだ。本当に難しい。」
「親は子供より早く死ぬわけだから遅かれ早かれ居なくなる。だからいつ親が居なくなってもやっていけるようにするのが親の努め。子供を自立させるためには、親が子供のために家でしていたことをすこしずつ子供にやらせてみること。時には失敗させてみること。そこから学ばせること。失敗してもいいから挑戦させること。そうすれば強い子になってくる。打たれ強い子になってくる。親も強くないといけない。親が強くならないと、子供は甘えてばかりいるダメな人間になってしまう。第一段階と第二段階はともかく第三段階は親側の覚悟がかなり要る。難しい作業だ。」
昔から「獅子の子落とし」や「可愛い子には旅をさせよ」などの故事成語やことわざは、子供の成長段階を見極め、その成長が一定の段階を超えた時、「親としての覚悟」が必須となり、親が子の真の成長を願えば願うほど「厳しい親」となって子供の「本当の成長」を促せるということを言っているんだなぁということを、この時に初めて理解した。
この日を境に、「やっぱり俺にはできないなぁ、小2の、自転車での夕刊配達。許可できないなぁ、苦しいなぁ、俺は親としては「ひよっこ」だなぁ、まだまだだなぁ、、」と反省の日々が続いた。
悲しかった。
(つづく)