お寺には小5から80歳までの修行僧がいたが、その中に高校生もいた。この寺は尼寺ではない。したがって女性はいない。女性がいないので、男たちだけで食事や洗濯や掃除や五右衛門風呂の焚き付けなど、家事全般をこなさなければならない。
私も自分の洗濯は自分でやるのだが洗い終わって干している時に、「それは方角が違うなぁ.。縁起悪いなぁ。」と若い僧侶が微笑みながらこちらにやって来た。「あのさぁ、ワイシャツはさぁ、ボタンがあるでしょう?それが前側。前・後ろがあるものは、前が南を向くように干さんとあかんよ!それが何故だか、分かる?」と言いながらハンガーにつるされた私のシャツを干し直した。北向きが南向きになった。「分かる?わかんない?」。こぼれ落ちるぐらいの満面の笑みをたたえて私の目をのぞき込んできた。
彼は定時制高校に通う1年先輩だった。私が全日制の1年生で彼は同じ高校の定時制の2年生だった。わたしが部活を終えて帰るころに、彼は登校してくる。滋賀県の愛知(えち)郡のお寺の出身で、高校1年から愛知県岡崎市のこのお寺に修行に来た。昼はお寺で修行、夕方から高校に通うのだ。
「漢文でならってない?北向きは敗北を表すって。敗北とは、負けて逃げる、という意味だから。」
あっ、確かに習った、習った。北は、方角の「北」という名詞の他に、「ル」と送り仮名をふると、「北ル」(にげルと読む)(逃げる)という動詞になるって高校で確かに習った!
この「干す時の方角事件」(大袈裟!)がきっかけで私たちは仲良くなり、朝のお勤めのあとの掃除で1回、夕方の学校で1回、就寝前に1回と、1日に計3回は言葉を交わすようになった。その会話は日常の何気ない出来事から将来のことまで何でも話し、打ち解けた雰囲気があった。それはとても楽しく、リラックスできた。学校の定期テストの前に勉強を教え合ったりもした。
私にとって隣室の28才の僧侶は「一番上のお兄さん」だったが、定時制の彼は「ほんの少し上のお兄さん」になっていた。まだ暑い暑い7月だった。この二人の兄の助けもあり、私の修行はその基底部が少しずつ出来上がっていった。一人では形作れなかっただろうなぁと今になってそのありがたみを思う。人は一人きりでは「人」にはなれない。頑張っている人には応援してくれる人がどんどん増えていく。さぼったり怠けたりすればその応援団は去っていく。本気で頑張っていれば応援団から大きなエネルギーがもらえるということを、私は気づき出した。
この応援団を裏切らないように、努力、精進すべきなのだ。真面目にじっくり、地道にコツコツと積み上げていくぞ!という思いが「力強い覚悟」に変化しだしていった。
(つづく)