お寺での居候生活が1週間続き、初めての週末がやってきた。お寺に住まわせていただきたいという私からの要望に対して、ご住職が示された幾つかの条件の中の一つに「土曜日の夜は実家に泊まる」というのがあった。
その当時、学校は6日制なので土曜日に高校へ行って授業と部活をこなし、夕方お寺に戻り、身支度を整えてご住職にご挨拶して実家へ帰った。自転車で約30分ぐらいで自宅に到着したが誰もいなかったので、夕食の支度にとりかかった。ひとり、またひとりと家族が帰宅し夕食の時間を迎えた。
「どう?お寺での生活は?」というのが食事の時の話題になったが、通り一辺のことをこたえておいた。こちらからは細かい話を一切しなかった。だから「うじ」の話もしなかった。食事が終わり、勉強し、風呂に入り、テレビを少し見て寝た。考えてみればテレビを見るのは1週間ぶりだった。
お寺に戻ったのは日曜日の夜だ。ご住職のお部屋までご挨拶に行く。正座をし両手をついて、「ただいま戻りました。」と申し上げると「実家はいかがでしたか?寺での生活に耐えられず、ひょっとしたらもうここには戻ってこないのでは?と思っていましたよ。」と満面の笑みでおっしゃられた。「とんでもない、まだ始まったばかりで何も習得できておりません。これからですよ、これから!」と申し上げながら、こちらも笑顔で応えた。
「それでは私からあなたへ宿題を出しておきます。」(宿題?)「あなたへの宿題です。縁あってこの寺へきたわけですから、いい修行にしていってほしいので。」
「あなたは16歳です。まだ若い。これからバラ色の人生を、素敵な人生を送ってほしいと思いますが、待っているだけではそれをつかむことはできません。私は終戦時シベリアでソ連軍の捕虜として数年をすごしました。地獄のような日々でしたが、なんとか生きて日本に帰ることができました。捕虜の時に、もし祖国に生きて帰れたら、これがしたい、あれがしたい、と何度も何度も考えていたものですよ。」
多くの人が亡くなった、シベリアでの捕虜の話は知っていたが、ご住職がシベリアのそれだとは知らなかったのでびっくりした。「あなたは生きている間に、何がしたいですか?100個、考えておいてください。そしてそれらを紙に書いて私に提出してください。」
将来何がしたいか?何だろう?何て書こうかな?正直かなり困った。今までそんなことを真剣に考えてこなかったからだ。「あなたのお父さんも徴兵されて軍隊に入ったそうですね。お父様も兵隊として戦地で激しく厳しい戦闘の中、それを考えたと思いますよ。死と隣り合わせの経験をしたことがある人はみんなそうです。でもあなたは今、死とはかけ離れた平和な時代に生きています。」
学校での難しい勉強以上の、さらに難しい勉強だと思った。でもこの宿題、なんとかやってみよう、自分自身と向き合って。昭和51年の7月、16歳の夏だった。(つづく)