講堂に、16畳の和室をふすまで仕切った8畳間が2つあった。そのひとつが私の部屋である。身ひとつでの居候の高校生にとって、身分不相応な広さであった。そこにあるのは、勉強用の和机とふとんだけである。
ふすまを隔てた隣は、28才の修行僧の部屋だった。実家がお寺で、長男だからそのお寺をいづれ継がなくてはならないので、大学を卒業後は修行僧として各地の修行寺で修行し、3ヶ月前にこのお寺に来たそうだ。そして来年はいよいよ浄土宗総本山、京都にある知恩院に修行に行くと言っていた。すごいことだなぁと思った。沈着冷静にして柔和な青年でいつもニコニコしていた。それでいて知識も豊富で色んな事を教えてもらった。夜私が学校の勉強している時、東京出身のこの修行僧Kさんはいつも読書をしていた。お寺は椅子の生活ではない。私は本を読んだり勉強する時は、あぐらをかいて和机を使用する。勉強中に疲れを感じるとペンを置き、背伸びしバンザイをしながら後ろに倒れて休憩する。畳の上での大の字だ。すると隣から「高原く~ん、休憩?」と声がかかり「少し話そうか?いいかな?」とふすまが開き、私の部屋でしばしの世間話となる。
「勉強は大変?」「ここでの生活はどう?」「自分の将来像は?」と話しを起こし、アドバイスしてくださった。「あの~、ずっと聞きたいことがあるんですけど?」「何?聞いて聞いて。」「食事の事なんですけど、白いお米の中に何だか分からないんですけど、なんか入っているんですけど、あれってなんですか?麦ではないし・・・」
「それか~。それのことかぁ~。あの~、知らない方がいいかも・・・。」
私から視線をはずした。畳をずっと見ている。
「知りたい?」
かなり間があった。私は言った。「できたらでいいんですけど、知りたいなぁと思います。」
「わかった。教えるよ。」
「『うじ』って分かる?なんか腐ったものにわく、あの『うじ』、分かる?」「わかります。わかりますけど『うじ』ですか?なんでごはんの中にうじが入るんですか?わくんですか?」「台所にさ、ドラム缶ぐらいの大きさの米びつがあるでしょう?あの中にネズミが入ったらしくて、それに気づかずフタをしめたら中でネズミが死んでうじがわいたらしいんだ。ネズミの死骸が米びつのかなり下の方に潜ってしまっていて、うじが大量発生するまで誰も気づかなかったんだよ。あわててネズミの死骸を除去したものの、うじが除去しきなかったんだよ。かなり取ったんだけどねぇ。」
なんとなくあと味が悪かった。食事に関して好き嫌いなく何でも食べるが、白いご飯の中にまじったあのクリーム色の物体の正体を知ってしまったのは、6日のあやめ、10日の菊、遅かりし由良助、時すでに遅しという感じだった。
「知らなかったほうがよかったかも、ね。でもこれぐらいのことでくじけてはいけないよ。仏の教えでは人生は四苦八苦から始まるとされている、生老病死を四苦という。つまり人間として生まれたということを苦(く)と考えるのだから。」
人生は大変だと思うことにしよう、生まれた以上は。こんなことぐらいではへこたれずに、「なにくそーッ」と思って前進するということを、このお寺での学びの第一歩と心に誓った。(つづく)